わたしのこと 〜HSP、変な子エピソード集

 

 

 

みなさん、こんにちは(^ ^)

 

今日は唐突に、わたし自身について書いてみたいと思います。

といっても生い立ちではなく、幼少期からの変な子エピソードにフォーカスして。

 

 

自覚したのは大きくなってからですが、わたしは昔からちょっと変わったところがありまして…

 

最近は研究が進み、巷でも自分の性質を分析できる機会が増えてきたので、

おそらく自分が

HSS型HSP、APD、若干のADHD(不注意型)

これら脳のバグのようなものを持ってるかも…と思うに至りました。

 

みんな誰でも多少は持っていると言うし、クリニックで精密検査をしたわけではないですが、

そのような性質があるかもしれないと自覚することは、

自分により合った方向へ進むための道しるべになると思うのです。

 

こういうカテゴリ分けをされるのを嫌う人ももちろんいますが、

少なくともわたしは知れて良かったと思ってるし、

過去の行動に納得がいって、自分を愛しやすくなりました。

 

ということで今回は、

今思えばたぶんこれらの性質のせい(おかげ?)だろうと思えるエピソードを記憶の限りお伝えします。

 

同じような境遇の方には個性に気付くきっかけや、共感、勇気に…

とくだん社会との違和感がない方には、単純におもしろエピソードとして…

楽しんでもらえたら良いなと思います。

 

そしてわたし自身には、自分の傍観者となって記憶を整理するために書かせていただきます。

 

 


幼少期 〜神経質だけど大胆

わたしが3歳のときに両親が離婚するまでは、父の実家に父方の祖父母と一緒に暮らしていました。

 

きょうだいがいなかったので1人遊びも多かったですが、健康で何不自由なく、のん気な毎日。

 

ただ唯一悲しい出来事があったとしたら、わたしの目の前で両親の夫婦喧嘩が何度もあったことでしょうか。

今ではそれもわたし形成のためにあってよかったと思えていますが。

 

 

1. 手の匂いを嗅ぐ

まだ小さかったので、出かけるときは家族や親戚など大人たちが手を繋いでくれるのですが、

手をほどいたあと、自分の手の匂いを嗅がずにはいられませんでした。

 

別に臭いとかではないのですが、他人と触れ合うことに神経質だったのと、

手を繋いだあとは手の平がしっとりして匂いが強くなるので、犬のように本能的にそれを確認したかっただけです。

 

大人たちはみんな不思議そうに「なんの匂いがするの?」と聞いてきました。

なんの匂いと言われても、手の匂いなのですが…

人によって微妙に匂いが違います。

母親には「恥ずかしいからやめて」と言われました。

 

HSPの特徴で匂いに敏感というのがあって、これはのちにわたしをアロマセラピストに導いてくれました。

電車やコンビニで不快なことも多いですが…

 

 

2. 三輪車で大冒険

家の前で三輪車で遊んでいたときのこと、もっと長距離を漕いでみたくなりました。

 

母に連れられてしょっちゅう出かけていたので、駅までの道には自信がありましたが、

それを1人で試してみたいと思ったのです。

 

それで、おばあちゃんがちょっと目を離した隙に1人で駅まで漕いで行って、

ちゃんといつもの道を通って駅まで行き、「よし!やっぱり合ってた」と確認して戻って来ました。

 

戻ると家族や近所の人が騒がしくなってて心配されましたが、わたしは自信と達成感で大満足でした。

 

 

3. 迷子でも楽しく遊んでる

何度か迷子になったことがあります。

母のつまらぬショッピングに付き合わされて退屈がピークだったのだろうと思いますが、デパートで迷子になってしまったときのこと。

 

「迷子になった」という自覚はありませんが、お洋服屋さんのお姉さんに遊んでもらった記憶があります。

白い発泡スチロールのベルトみたいなのに、一緒にペンで穴をプチプチ開けている光景を覚えています。

 

たぶん迷子のアナウンスをして母が迎えに来るまでのわずかな時間だったと思いますが、

若いお姉さんが一緒に遊んでくれて、楽しかった思い出だけが残っています。

 

 

4. お風呂場に閉じ込められても

わたしが子どもの頃は、親の躾もけっこう厳しい昭和。

お尻叩きとかは当たり前でした。

 

そのときは罰としてお風呂場に閉じ込められてしまいました。

最初は大泣きしていましたが、泣き疲れたのか飽きたのか、

シャワーヘッドをマイク代わりにアイドルごっこを始めました。

 

歌い始めると楽しくなってしまって、罰を受けてることなんか忘れてしまいます。

 

しばらくして母が急にドアを開けてきて、すごいビックリしたのを覚えています。

「やばい!反省してなきゃいけないのに…」と、ちょっと恥ずかしくなりました。

 

 

5. 誰とでも打ちとける

今のわたしからは想像も付きませんが、昔は誰にでも話しかけて、誰とでも友だちになれました。

(でも神経質なので嫌いな人には近付かない)

 

それは海外でも変わりません。

船上ディナーに参加したときのこと、宴もたけなわになると自然にダンスが始まりました。

母たちはずっとテーブルで飲んでてダンスにはもちろん参加していませんが、

退屈してるわたしをここなら安全ということでダンスの輪に入れたのだと思います。

 

白人のおばさん、おじさん、いろんな国の子どもたちと円になって、フォークダンスが始まりました。

言葉は全然わからないけどすごい楽しかったのと、母親が外国人の中で自然に打ち解けてるわたしを見てビックリしていたのを覚えています。

 

 

「敏感・神経質でこだわりが強いのに大胆」というHSS型HSPの特徴が出ているなぁと、まとめて見るとよくわかります。

 

 


小学生のころ 〜こだわり強め

この頃から友だち付き合いが複雑化したこともありちょっとずつ心を閉ざしていきますが、基本的な性格は変わりません。

 

両親の離婚後、母方の祖父と一緒に暮らすようになってからは母も働き始めたので、

学童にも行っていましたがそれでも1人でいる時間がすごく増えました。

 

うちの母はいわゆる毒親(毒母)で、田房永子さんの「母がしんどい」を初めて読んだときには共感の連続でした。

この頃から中学・高校ぐらいをピークに毒親の苦しみで人生がいっぱいだったので、わたしの形成にはそれも欠かせないのですが、それはまた別の機会にするとして…

 

 

6. 「くいしん坊!万才」ごっこ

小学生の頃は1人遊びのピークでした。

「なかよし」や「りぼん」が好きで少女漫画のお絵描きをすることが多かったけれど、謎のごっこ遊びもありました。

 

中でも、今で言う「食レポ」が楽しくて「くいしん坊!万才」ごっこはけっこう熱中しました。

 

「くいしん坊!万才」はフジテレビの5分ほどのミニプログラムで、

レポーターが日本津々浦々で地元のおいしい料理を食べてレポートする番組。

料理長が出てきてレポーター(リアルタイムで見てたのは辰巳琢郎、山下真司の時代)と話すのがお決まりで、芸能人レポーターと一般人の料理長のやり取りも子どもながらにおもしろかったのです。

 

家で1人でお昼を食べるときはレポーターになり切って、後ろには料理長がいる体でレポートします。

実際に撮影はもちろんしませんが、本気で取り組んでいたので脚本的な筋書きが自分の頭にはありました。

海沿いの地方で、和食の魚介料理で、旅館で、とか。

 

セリフもざっくり決まってて、間違えると最初からやり直しになります。

本当に謎の厳しさなのですが、こだわりを持って何度も繰り返していました。

 

何度もやってるうちに食べ物が減ってきてしまうので、終了となります。

 

 

7. 仲間はずれがバレたくない

誰でも一度は「仲間はずれ」にされたことがあるのではないでしょうか。

わたしも何度かありますが、とにかく先生に気付かれるのが嫌で…

 

1人になるのはむしろ楽なので開き直ってしまった方が良かったのかもしれませんが、

とにかく人目が気になって、仲間はずれにされたことを周りに知られたくありませんでした。

 

そしていつものメンバーにわけもわからず仲間はずれにされてしまったある日、

休み時間はみんな校庭に出るのでとりあえずわたしも出たのですが、居場所がない…

ポツンとしてると先生に見つかる可能性がある…

 

そこで、いつも明るくカラッとした雰囲気の女の子グループがボール遊びしてるところへ行き、

「◯◯ちゃんたちに仲間はずれにされちゃったんだけど、仲直りできるまで一緒に遊ぼ」と言って

期間限定で仲間に入れてもらっていたのです。

 

ここまで人目を気にする理由について自分なりに分析してみたのですが、

根底には「惨めで恥ずかしい情けない自分」がいて、

その反対の「誇りや自己愛、自信」がないゆえに開き直ることもできず取り繕っていたのかなぁと思います。

 

 

8. 整理整頓が好き

この頃からミニマリストの気がありました。

 

机に引き出しのように入れておく「おどうぐ箱」

この中の配置がキチっとしていないと気になってしまい、定期的にいちばん効率の良い配置はどうだろう?と考えては整理していました。

 

わたしはこれが大好きで、整理整頓して片付くのが嬉しかったのです。

友だちにも「整理してあげようか?」と聞いて(勝手にやるわけにはいかないので…)片付けていました。

 

 

9. 発表は自分の意志でしたい

小学校高学年のとき、良くも悪くもクセ強めでちょっとおせっかいな女性の担任に当たりました。

 

この頃からわたしは絵が得意なのを認められ、褒められることも多かったのですが、

ある日の授業で何かの絵を描くワークをしたとき…

自分的にうまく描けたと思ったので、あとで発表のとき手を挙げようと思っていました。

 

すると先生が回ってきてわたしの横を通ったとき「よくできてるね」「後で発表しなさいね」と言いました。

 

それで発表のとき、結局わたしは手を挙げませんでした。

自分の意志で発表しようと思ったのに、ここで手を挙げたら先生に従って発表することになってしまう…

そう思ったらなんか悔しくて。

 

それ以来、先生はわたしのことを「引っ込み思案な生徒」と決めて、他の生徒にもそれが浸透してしまったため、わたしが手を挙げたら「え?あの引っ込み思案が?」となるのが嫌なので、そのまま引っ込み思案を演じていました。

 

ちなみにこの先生は、生徒が二十歳の自分に向けてタイムカプセル的に書いた手紙をその誕生日に送ってくれるという計らいを毎クラスでやっていて、実際それが届きました。

一緒に入っていた先生からの手紙には、わたしが引っ込み思案だったという内容が言葉は違うけど書いてあって…

「あのときわたしは実はこんな気持ちでした」と返事を出そうかとも思ったけど、先生もお歳だろうし変なショックを与えるのもなぁと思いやめてしまいました。

 

 

10. 念願のワープロ

まだ小学校低学年のとき、誕生日プレゼントにカシオの子ども用ワープロを買ってもらったことがありました。

 

ピンク色で可愛くて、印刷もできちゃう優れもの。

一応子ども用として売られてはいるけれど、当時これを欲しがった子どもって多くはなかった気がする。

 

わたしも、これで文章を書きたい!とか明確な目的はなく…

でも昔からお絵描きに加えて、机に向かって書き物(ちなみにこれも仕事ごっこの一環)も好きだったので、

とにかく大人みたいにワープロをカタカタしてみたかったんです。

 

しかし、使い方が複雑すぎて大人に説明ビデオを見てもらっても使いこなせず…

結局お蔵入りとなりました。

 

実は最近まで、もう10年も前に買ったDellのPCを使ってて、

ずっとMacBook Airが気になってはいたものの絶対買い替えなきゃいけない理由もなく時が流れていました。

 

でもこのワープロのことを思い出して、

「こんなに昔からお気に入りの相棒とカタカタしたかったのか、わたし!」と気付き、即購入。

 

こんなに気分が上がるならもっと早く買えば良かった!と思うほど嬉しく、執筆もはかどっております。

 

 


思春期

この時期は友だちとのコミュニティ形成や、部活、バイトなど社会との関わり方を必死に学んでいたためか、

毒親との確執エピソードはいろいろありますが、わたし自身の個性が出てる印象的なエピソードがあまりありません。

 

良くも悪くも個性を消して、浮かないで社会になじもうとしていたのかもしれません。

 

 

11. 健康第一

高校生のとき、授業中の雑談でおみくじや占いの話になった時のこと…

 

「恋愛、勉強、健康ならどれが1番気になりますか?」と言う先生の質問に、

みんな机に顔を伏せて手を挙げて、数を調べることになりました。

 

わたしはこの頃お腹を壊すことが多く、ピンチのときはいつも神に懺悔して

「あぁ、健康あっての人生だ…」

「健康でなければ食べることも歩くこともできないではないか」

と常々思っていたので、ごく自然に「健康」に手を挙げたのですが…

 

先生が結果を発表すると、

1位は恋愛、2位は勉強

健康に手を挙げた生徒は、1人だったと言うのです。

そんなバカな…!

 

でも後から思えば、ピチピチの高校生が健康のことなんて考えているより

恋愛や勉強のこと考えてる方が自然だよなと思いました。

 

先生はわたしが何か病気を抱えているかもと思ったでしょうね。

 

 


大人になってから

社会人となってからは、一般企業で普通に働こうとするとうまくいかないことが多く、大人のADHDを思わせる失敗ばかり。

 

ただ、冒頭に書いたHSS型HSP・ADHD(不注意型)・APD

この辺りの性質を持っている人は、その裏返しの恩恵として芸術面や第6感が冴えていると言われていて、

セラピストの仕事を始めてからその辺の感覚が鋭くなった気がします。

 

 

12. マーガレットの声が聞こえた

この手の話は怖いのだとポルターガイストもあったのですが、それは割愛。

 

以前、施術中に窓辺にあるマーガレットを見ていたときのこと…

「きれいだな〜」とボーッとしていたら突然、

「ずっと友だちでいようね!」と聞こえました。

 

耳で聞こえるのではなく、胸元から上がってくる感じ。

でもハッキリと言葉として伝わりました。

 

「わたしのこと、友だちと思ってくれてるんだ!」とすごく嬉しくなって、

後からそういうことのわかる人に聞いてみたところ、

マーガレット自体ではなく、植物の精霊の声だそうです。

 

これはわたしにとって忘れられない思い出の1つです。

 

 

 

 

大人になってからのエピソードとしては、

コロナ真っ只中にイタリア留学に行ってきたのも非常にHSS型HSPらしい行動だなぁと思います。

繊細なくせに人が慌てるときに慌てないので、

おもしろい体験ができるのも強味かなと思っています。

 

note. で執筆中「コロナ禍のイタリア留学

 

 

 

 

さてさて、長くなってしまいましたが…

まとめてみると、我ながらクセ強めです。笑

 

 

とりあえず今の段階では、お絵描きや執筆に励みつつ、

この性質を活かしてみなさんのお役に立てたらいいなと思っています。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました⭐︎

 

 

いちばん左、撮られてると気付いたら絶対食べるとこ見せたくない。笑

 

 

 

 

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