《旅エッセイ》コロナ禍のイタリア留学 10:クリスマス前の小さな事件

 

 

 

今日も朝から苦行が始まる。

 

ここ2ケ月間ずっと、午前のレッスンが終わった後も夜まで勉強しまくってたのでもう頭はパンパン、飽和状態である。

ただ勉強が大変なだけならまだしも、この頃は焦りによるストレスも大きかった。

日本語は、英語やラテン語など欧米の言語とは仕組みがかなり違う。

後から知った話では、日本語がいちばん遠いらしい…。いやはや東の果ての国、言葉にも大きな距離があったのだ。

ざっくり言うとラテン語が簡単になったのが英語なわけで、イタリア語(やフランス語など)はその中間で独自の進化を遂げていった言語だと思う。

そのため、イタリア語には英語と似ている言葉がたくさんある。

 

例えば… ≪伊:英≫

presentare(紹介する、提示する) = present

visitare(訪れる)= visit

razzismo(差別)= racism

possibile(可能)=possible

などなど…

 

簡単な英単語ならわかるが、例えば「razzismo」を私は知らなかった。

もっと後のレッスンだったが、世界平和がテーマのとき、関連した単語が並んでる中でこれだけスルーしたので私が意味を聞いたら、先生はあるイギリス人の生徒に「彼女にイタリア語で説明できる?」と振ったことがあった。

その生徒がカタコトのイタリア語で一生懸命説明してくれて、単語の意味もわかったし、同時に、英語ができる人はわかる単語が多いんだ!ということも学んだ。

 

他にも、主語・述語・修飾語…という語順の違いがむずかしくて、短い文ならよいが、話が長くなるとついて行けなくなった。

 

そんなわけで、最初こそみんな文法に苦労するが、少しできるようになって会話が入ってくると、私は遅れを取り始めた。

ライバルのアシーはもちろんメキメキレベルを上げていってたし、先月には複雑な文法についていけてなかった生徒たちも、たわいない会話のときには意味がちゃんとわかっている!

 

人と比べて焦ってもしょうがないのはわかってるけど、毎日このくり返し…

たまに、子どもが初めて言葉を学ぶようにスポンジ頭で柔軟に学んでいける人もいるが、私は全然そのタイプじゃなくて、参考書を頭に叩き込んで着実にやっていかないとダメなタイプ。なにしろ時間がかかる…

語学はなかなか上達がわかりにくいので、モチベーションを保つのも大変だ。

 

でも、こんな屁理屈を言っててもしょうがない!

嫌ならプライベートレッスンにすればよいが、この多国籍に揉まれることに意義があるはずだ!

 

ということで、あまりの苦しさに長々と書いてしまったが、孤独な闘いが続いていた…泣

レッスン休憩中のお菓子シリーズ…トウモロコシ粉のクッキー♪

 

 

そんなある日のこと、

大家さん夫妻がやってきた。

 

前にごあいさつは済ませていて、ザ・イタリアのマンマ!という感じの元気で大きなお母さん、そして優しく背が高くて力持ちなお父さん。

とてもあたたかい人たちで、後々も大変お世話になって今でもメールをやり取りしている、いわばイタリアの両親である。

 

でもこの頃はまだ私も全然しゃべれなかったので、キャラもわからず、ただただ声の大きさにビックリするばかりだった…

(イタリア人は本当に声が大きい!とくにマンマ)

 

この日は、近所に寄ったついでに、クリスマス用のポインセチアを持ってきてくれた。

「Grazie!(ありがとう)」と受け取った。

 

そして家賃の支払いを済ませて、頼んでおいた郵便ポストのカギを受け取る。

やったー、これで日本とお手紙のやり取りができるぞ!

 

それから大家さんは、ポストに自分の名前を貼るように言ってから帰って行った。

 

 

私は大家さんが来たときも勉強してたので、キリのよいところまで終わらせてから、忘れないうちに…とポスト用の名前の紙を書いた。

うまく書けなくて2回ぐらい書き直し、ちょっとカリグラフィーっぽく可愛くしてみた。

 

できた!

さっそく1階の入口のポストに貼りに行こうと、ドアを出た。

…ガチャ、バタン!

 

 

………??

ハッ!!

や、やってしまったーーーーーー!!!!

 

実はイタリアのアパートのドアは、オートロックで外からは鍵がないと開けられない仕組みになっているのだ。

なのに、うっかり鍵を持たずに出てしまった!!!

 

サーーーーーッとなってしばらく固まる…

 

ドアはガチャガチャしても開かない。

手に持ってるのはポストの名札だけで、スマホもない。

しかも部屋着のままで、季節は冬。

 

まず、なんとかこのドアを開けられないかとがんばってみた。

針金のようなものはないかと探したり、近くにあったイルカの置物を使えないかとか、

もう体当たりでぶち破るか…

でもそんなことしたら弁償しなきゃなぁ…

とか、色々考えた。

 

そしてドアを開けるのは無理だと判断し、他の案を考えた。

 

アパートなので他のお宅にピンポンして助けを乞う案ももちろん浮かんだ。

が、どんな人が出てくるかわからないし、言葉もわからないし勇気がいる。コロナ禍なので嫌がられるのではという心配もあった。

冷静に考えればそれがいちばん得策なのだが、人って気が動転してるとちゃんと考えられなくなるものだ。

しかも、このとき私はあの大家さんがこのアパートすべての部屋の大家さんだと思っていなかった。

それを知ってたらもっと早く住民に助けを乞うたであろうに…

 

 

学校がすぐ近くなのでこの格好のままとりあえず学校に行けば、大家さんに連絡を取ってもらえる。

いや、もうとっくに学校は閉まってる時間だ。

仮に開いてるかもしれなくても、一旦このアパートから出ると、自分の部屋はおろか、アパートの共用部にも入れなくなってしまう。これは危険すぎる。

 

あとはこの階段で朝まで過ごし、確実に学校が開くのを待って出るか…

 

いや、凍え死んでしまう!

イタリアに来て早々、こんなことで死ぬなんていやだ!!

 

 

…しばらくグルグル考えたあげく、結局私は1階下の部屋を訪ねてみることにした。

先に何て言うか考えて、練習する。ぶつぶつ…

そして、意を決してブザーを押す!

 

すると…

金髪の女の子が明るく出迎えてくれた!

まず、人がちゃんと出てくれたことに安心。感じのよい女性で、さらに安心した。

 

私がつたないイタリア語で事情を話すと、笑顔で中へ迎え入れてくれた。

そして、なんと大家さんの電話番号を知ってて、その場で連絡を取ってくれたのだ!

大家さんは1時間程度で戻ってきてくれるということだった。

 

あぁ、本当によかった…!!

これでイタリアのアパートの階段で凍え死ななくて済んだ…!

ほっとしたら涙が出てきた。

 

女の子が、コーヒー飲む?と聞いてくれた。

悪いと思って遠慮したが、遠慮してるのを悟って「Perche no?(そんなことないでしょ~)」と入れてくれる。

キッチンからご飯の匂いがしたので、たぶん夕飯の支度中だったのだろう。中断させてしまったのにもかかわらず、あたたかく迎えてくれて、心からありがたかった。

 

女の子の名前はパーニャといって、イラン人で歳は私と同じ。大学で子どもの教育(幼稚園の先生?)について学んでて、今はここに彼と同棲してるが、いずれはミラノに住みたいそうだ。

アジア人は若く見られるので、私が同い年と知って驚いてたが、こんな子どものような状況でさらに信じられなかっただろう…

 

後日パーニャにお詫びのお菓子をあげたら、写真を送ってくれた。どこまでも親切だ…

 

そうこうしてたら、大家さんが戻ってきた!

そして無事ドアを開けてくれて、部屋に入ることができた。

 

わざわざ車で戻ってきてくれた大家さんにも本当に申し訳なく、お詫びしてもし切れなかったが、「大丈夫、大丈夫!」とカラッと言ってくれるのだった。

こうして、クリスマス直前のプチ事件は終わった。

 

あぁ、とんだ災難だったけど、またしても人の心のあたたかさに触れたなぁ…

 

ベッドで眠れることのありがたさを噛みしめながら、すぐ眠りについたのだった。

 

リアルトナカイプリントの毛布…

 

 

次回11につづく

 

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