《旅エッセイ》コロナ禍のイタリア留学 11:お絵描き好きの所以

 

 

今日は待ちに待った年内最後の授業!

もう頭も精神もプシューッと蒸気を上げそうなぐらいがんばった。

 

ちなみに、先日の閉め出された事件のことはこの少し前のレッスンで話したところ、

「イタリアのアパートあるある」でみんな一度はやってしまうらしかった。

 

先生も過去にあった同じ経験を話してくれて、このとき覚えた「mi sono distratto/a(うっかりした)」という表現は、これから先も忘れることはないだろう…

 

 

最後の授業ということで、先生がみんなに休暇中の予定など聞いている。

世界からオンラインでつながっているので過ごし方もそれぞれだが、ロックダウンのイタリアはもちろん、今年はやはりみんな家でおとなしく過ごす、というかそうせざるを得ない感じの人が多い。

これはお部屋に飾ってある絵

 

私はというと、この機会にお絵描きをすると決めていた。

そもそもイタリアに来た目的の1つがアートの勉強だし、生まれて初めてたった一人で過ごす年末年始。

誰にも会わず、仕事のことも、おせちのことも考えずに籠って作業できるなんて…、なんとすばらしいのだ!

まだアートの学校には申し込んでないし、美術館もやってないけれど、フィレンツェには画材屋さんがたくさんあるので、とりあえず自己流で何か描いてみるのによい機会だと思っていた。

 

 

ところで、ここでちょっと私の今までのお絵描き経験について説明させてほしい。

 

私は小さい頃から絵を描くのや図工・美術が好きだった。

良いことも悪いことも含め、印象的な記憶がいろいろある。

 

小さい頃、初めて立方体を描いてみたときに、

「あ、そうそう、奥を細くすると立体的に見えるんだよね~」と、

遠近法(という言葉はもっと後で知ったけど)を「すでに知っていた」(思い出した)みたいな感覚があった。

 

それから、5歳のとき保育園で、特大の画用紙に街の絵をみんなで描くワークをしていたときのこと…

私は空を塗る担当で、ビルとビルのすき間まですべて空色で塗りつくした。

そしたらなぜか先生に怒られた。「なんでこんな下まで塗るの!!」と。

だって、ビルの他に何もなければ背景の空は地平線までつづいてるではないか…

とは5歳の私には説明できなかったけど、なんで怒られたのかも全く理解できなかった。

逆に先生は、空をどこかのポイントで急に終わらせるつもりだったのだろうか…

今でも、私の感覚が絶対正しい!と確信している。

 

他にも、小学校1年のとき、女の子の絵を描いてて肌の色を何色にしようか迷ったときのこと…

色鉛筆にはピンクとオレンジはあるけれど、肌色がなかった。

迷いに迷って、私はピンクを選んだ。

しかし、それを見たおませな女の子たちに、「変だよ!」「普通オレンジだよ!」と大ブーイングを受けたことがある。

そうなんだ!普通、肌色の代わりはオレンジなんだ…!

今なら、私の描いた女の子がけっこう上手に描けていたので嫉妬もあったのだろうと思えるし、

何もピッコロさんみたいな緑色にしたわけじゃないんだから…とも思えるが、当時の私はすごいショックを受けた。

でも今は逆に、ピンクを使った自分の感覚を褒めてあげたい。自然にマイノリティを選ぶのは、芸術家には欠かせない要素な気がするのだ。

 

中学に入ると、(誤解を恐れずに言わせてもらうと)自分はわりと絵がうまい、ということを自覚し始めた。

ポスターとか何かしらのコンクールに出せば、佳作にはなる。(残念ながらいつも優秀賞には至らないのがミソ…)

授業で初めて油絵を描いたときは、自分でも驚いた。描き上がった絵がなかなかうまかったのだ。

アニメ好きの友人と初めて自己流でデッサンをしてみたときも、「自分ってわりとうまく絵が描けるんだ!」ということに気付いた。

生まれて初めて、やり方も知らずに描いたにしてはうまく描けたと思う

 

今までただ適当に、好きで描いてきたけれど、デッサンとか油絵とか「写実(本物そっくりに描く)」という基準で測ったときに、自分のもともと持ってる素質が平均よりけっこう上だったことに気付いたのがこの頃だった。

 

そんな中、私の「描きたい!」を刺激するのはもっぱら漫画だった。

小学生から「なかよし」を読み始め、ちょっとお姉さんになってからは「りぼん」に移行。

この頃はちょうど「セーラームーン」や「マジックナイトレイアース」、「こどものおもちゃ」、「ご近所物語」、「赤ずきんチャチャ」などなど…第2次少女漫画ブームともいえる、歴史に残る名作がたくさん始まった時代だった。

昔から「ペルシャ」とか「サリーちゃん」「ミンキーモモ」など、いわゆるマジカル少女のアニメも大好きだったので、当時はもっぱら女の子の絵を描いていた。

ちなみにこの頃の夢は、漫画家!

ペルシャが変身した(赤い髪のお姉さん)がめっちゃ好きだった…

 

そして高校受験のとき、まぁ漫画家にはならないとしても、とにかく美術系の方向には進みたかった。

…が、親がそちらの出身だったこともあり、将来の就職のことも考えてダメと言われ、美術の先生だった当時の担任も親に賛同し、2人から説得され断念するに至った。

 

結局、高校に入ってからはバイトを始めたし友人と遊ぶのも楽しかったので、絵を描くこともだんだんしなくなっていった。

けど、相変わらず授業で描いた油絵は全部廊下に飾らていれた。

生まれて初めて描いた自画像は階段の目立つところに飾られて、恥ずかしいのもあってこっそり名札を裏向きに伏せておいたのだが、クラス替えをしたとき初めて会った生徒に、

「自画像の子だよね!?」と言われ、ギクリとしたのを覚えている。

 

…とまぁこんな感じで、描けば描けるけど機会は減るばかりで、大学に入ってからはもう全然描かなくなってしまった。

そして社会人になり、2012年からはセラピスト業に専念したのもあり、趣味でも絵を描こう!ということにはならず、その芽を育てることなく時は流れた。

 

アロマサロンを始めて3年ぐらい経った頃からだろうか。

少しずつ「また描いて、自分の才能を伸ばしてみたいな~」とぼんやり思い始めた。

2016年に訪れたセドナで、もはや宇宙的ともいえる自由なアーティストの作品に触れ、自分もいつかこのぐらいまで魂を目覚めさせたいと思い、

2018年に行ったイタリア旅行では、初期ルネサンスの素朴なヘタウマ感(といっちゃ怒られるが)な宗教絵画に刺激を受けた。

シエナ派の聖母子

 

しかし、デッサンや色、表現など基礎からちゃんと学んだことがないのがなんとなくずっとコンプレックスとなっていて、でもどうせなら海外で暮らしてみたいし…、それなら本場フィレンツェで学んでみよう!!ということで、我ながらけっこう思い切った決断によってイタリア留学に至ったのだった。

 

 

もちろん、日本にいるときも少しだけどお絵描き教室に通ってみて、それはそれで良い経験だった。

けど、イタリアでの滞在中はアートの学校へ行くのはもちろん、いろんな種類の美術館で「本物」を見る機会を持てたし、周りにもアートに日頃から親しんでる人が多くて、つまり、芸術がとても身近だったのだ。

これはとても居心地の良いものだった。

お部屋に飾ってあったエッチングの聖母子像

 

日本では、(専門的に学んでない人にとっては)「アート」というと少し特別なもので、こちらから歩み寄らないと感じにくいもの、という意識が少なからずあると思う。(私もそれを意識したために純粋に楽しむことができなくなっていた一人)

でもイタリア人(だけではないけど…)は、「美」が価値基準のかなり上の方に来るから、日頃から暮らしが芸術に溢れている。

お花を楽しむような感覚でアートを楽しんでいるし、美術をなにも学んでいない人でもる程度芸術についての知見が備わっている。

(比較ばかりで申し訳ないが…)現代の日本では、デジタル化が進んでるのもあって、「合理性」とか「効率」「利便性」ばかりが重視され、本当に心から感動するような「美しさ」は二の次になってるように思う。

 

たしかに、「美」そのものは生活の役には立たないかもしれない。むしろ、無駄として淘汰されがちだ。

けど、美しさは心を豊かにしてくれる。

人生になくてはならないものだ。

 

イタリア人は、それをよく知っている。

世界遺産が世界で一番多い国、理由はここにある気がする。

 

 

話がどんどん逸れているので、最後にイタリアの素敵なことわざをご紹介して今回は終わりたい。

 

Chi si contenta gode.

(心が満たされた人は富にも勝る)

 

私がイタリアでアートを学んでよかったのは、技術や環境ももちろんあるけれど、

それより何より、アートを身近に感じながら純粋に楽しむことができて、「美を讃え喜ぶ心」に改めて出逢えたことのように思う。

 

 

12につづく

 

↓ ポチッとお願いします
にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

トラックバック URL

https://soyo-soyo.jp/14096/trackback

PAGE TOP