〈旅エッセイ ~コロナ禍のイタリア留学〉2:出発の日

 

 

 

朝から母に付き添ってもらい、東京駅からリムジンバスで成田へ向かった。

 

2020年11月初旬。

あっちの冬は寒いだろうからと、まだ初秋なのに私はムートンブーツを履いていた。

 

約1年間のイタリア留学に持っていく荷物はやはり相当な量で、特大スーツケース1つと中ぐらいのを1つ、

そしてバスタオルでグルグル巻きにした大きくて重い(そして古い)ノートPCをリュックに詰めて、

コロナのせいで海外へ行く人なんてほぼいないターミナルを2人でいそいそと歩いた。

 

空港内は、想像はしていたけれどやはりぎょっとするほど閑散としていて、

「あ、やはり私の選択はかなり少数派だったんだ…」とこのとき初めてちゃんと実感して、

これから一体どうなるんだろ…という不安と、もうなるようにしかならん!と腹をくくる気持ちとでごちゃまぜだった。

思えば母はその何倍も複雑な気持ちだっただろう…

 

そう、今年は新型コロナで世界中が大変なことになっている。

当初は5月に予定していたのだが、一旦キャンセルせざるを得なかった。

その後もいつ行けるかと悶々とした日々を過ごし、なんとか仕切り直せたのが11月のフライトだった。

 

しかし、ヨーロッパでは早くも夏に規制緩和をしてバカンス推奨運動みたいなものをやっていたため

10月頃からまた感染が急拡大し始めていて、まさに出発しようという今、

なんだかとっても危うい雰囲気が漂っている…

↑この日1日の便がこれで全部!

 

 

そんな中、海外に行くとなったらそりゃ準備も大変なわけで…

まずPCR検査を受けて陰性証明を持参しないと、入国はおろか飛行機にも乗せてもらえない。

 

PCRの何が面倒って、証明書が有効な時間を逆算して検査に行かなくてはならないことだ。

当時はまだこの有効期限がすごく短く、たしか「入国の48時間前まで」だったと思う。

帰国時(2021年11月)は「搭乗の72時間前まで」となっていたので、かなり厳しかったことがおわかりいただけるだろう。

乗り換えの飛行機がちょっと遅れただけで無効になるリスクがあるし、

そもそも、万が一陽性だったら全部おじゃんである。

ちなみに検査料金は当時で約4万円!コロナが落ち着くにつれて安くなっているので、現在は1万円で受けられるはずだ。

そのほか細かいことは割愛するが、とにかく荷造りで超忙しい中、検査を受けに行って、なんとか無事に陰性証明を受け取った。

これが出発前日のことである。

 

もちろん必要な書類はこれだけではなくて、航空会社に提出する用と、イタリア政府から求められている書類も数種類あった。

当時は英語もイタリア語もほとんどできないので、もし万が一、出国以降に何か問われたらどうしようという懸念もなくはなかったが、もう運を信じるしかなかった。

 

私はもともとそんなに自信を持って生きてるタイプではない。

どちらかというと心配性だし、ものすごく神経質だ。

だから今回のイタリア留学はすごく迷った。

現地でコロナに感染してとんでもないことになったら…など最悪のケースももちろん想像した。

けれど、ある信頼できる人に相談して「自分を信じること」の大切さに気付き、

たしかに今までの人生ラッキーなことが多かったし、本当に進まない方が良いときは嫌でもストップがかかるから大丈夫!と腑に落ちたので、行くことに決めた。

それに、行かないで悶々とするより、後悔したとしても行動した方が私らしいとも思った。

 

 

チェックインカウンターで必要書類を全部見せて、スーツケースを預ける。

それからしばし、保安検査場のゲートに入るまで時間をつぶす。

母が軽い朝食を作って持って来てくれていた。

焼きたらこ入りのおむすび。俵型で、周りに白ごまを纏わせてある。

昔、母に何おにぎりが好きか聞いたとき、ばあば(今は亡き祖母)がよく作っていたたらこおにぎりだと言っていた。まさにこれだ。

ベンチに並んで座り、無言でほおばる。

私は何度も泣きそうになっては、ハッとして意識を他のことに逸らすようにしていたと思う。

卵焼きもたいらげ、じゃあそろそろ…ということでゲートに向かう。

 

 

それにしても、人があまりに少なすぎる。

ポツリポツリと、何か事情があって日本を後にするのであろうわずかな人々が、神妙な面持ちの係員に案内されてゲートに入っていく。

だだっ広い成田空港のちょっと古臭くて薄暗い雰囲気と驚くほどの静けさに一瞬、私ってもうこのまま故郷に戻ることがないのかな…?なんて考えがよぎったほどだ。

 

 

「じゃあ、行くね」と私は言って、ハグをした。

母とハグするなんて、これが初めてじゃないかと思う。

小っちゃくて、丸くて、たぶん仕事のせいで背中は固くなってて、でも温かかった。

私には以前アメリカ人の彼氏がいたことがあるのだが、彼のハグにはすっごいパワーがあって、まるでアメリカの大地に抱きしめられたような壮大感と驚きと、そして全身全霊の愛に溢れていた。

だから私も、ハグには慣れてないけど、そんなハグを意識してみた。

母がアメリカの大地を感じたかはわからない。

 

そして私は、母を不安にさせたくない気持ちから涙と胸の痛みをグッとこらえて、力強くゲートをくぐって行った。

 

 

へつづく

 

 

出発の朝、成田空港にて。ムートンブーツが暑い暑い!(母撮影)

 

 

 

 

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